「医者に聞きたい!」ドクター都のほろ酔いがん相談

がんについて対話形式でじっくりと分かりやすく説明していきます。ほろ酔いで(笑)

ケース5 がんを治療しないという選択をした新藤さん(65歳男性)

今回は、私のがん治療経験の中で初めて「何も治療をしない」選択をした患者さんについてです。

発見時には転移が進んでいたということはありましたが、苦痛を取る以外の治療は一切拒否され、2ヶ月ほどで亡くなってしまいました。

がんと診断されると、普通は心の揺れ動きがあるものですが、新藤さんは外来で初めてお会したときから最期まで、私に一切の動揺を見せないほど、こういう言い方をしていいのか分かりませんが心の強い方でした。

患者さんが亡くなってしばらく経って、北海道の居酒屋で奥様とばったり出会った時にした会話です。

 

 

 

 

 

新藤さん:都先生、お久しぶりです。新藤の家内です。覚えてらっしゃいます?

 

Dr都:覚えていますとも。新藤さんのことは強烈過ぎて忘れませんよ。でも、まさかこんなところで。

 

新藤さん:主人が亡くなってしばらくしてから、引っ越ししたんですよ。もうすぐ三回忌を迎えます。

 

Dr都:あれ以来、外来にいらっしゃらないので心配していたんですよ。

 

新藤さん:主人が亡くなってしばらくは本当に眠れず、先生に安定剤を処方して頂いて助かりました。その後、少しずつは眠れるようなったのですが、いつまでも薬に頼ってはいけないなと思いまして…。気分を変えるためにも生まれ故郷に。

 

Dr都:そうでしたか。あんなに強烈なパートナーを失うと、反動がすごそうですね。

 

新藤さん:はい。先生にはお礼に伺わなければと思いつつも、実は病院に行くと主人の最期を思い出してまって…。外来も通うのが辛かったんです。

 

Dr都:そうだったんですね。気になさらないでください。今は落ち着いていらっしゃるのですか?

 

新藤さん:はい、だいぶ。主人がまだ横にいて、じっと見ているような気がすることは

ありますけどね。

  

Dr都:想像できます。新藤さんは本当に寡黙な方でしたね。それにあの意志の強さというか、後にも先にも新藤さんのような人に会ったことはありませんよ。

 

新藤さん:先生の外来で、胃がんでお腹の中や肝臓に転移があると告知された日のことは今でもはっきりと覚えています。

 

Dr都:はい。私も覚えています。「それは治るものですか」と聞かれたので、「この段階で手術はできません。抗がん剤で命を延ばすことはできますが、がんが消えてなくなくることは奇跡でも起きない限りありません」と私は正直に答えました。すると新藤さんは、「そうですか…では何もしなくていいです」と、落ち着いた声でおっしゃって…

 

新藤さん:そうでしたね。先生の方が慌ていらして。

 

Dr都:恥ずかしながら、がんの患者さんから「何も治療しなくていい」と言われたのは初めてでしたし、何より新藤さんに少しでも長く生きていて欲しいと思って、何とか説得しなきゃと取り乱してしまいました。「本当に何もしなくていいんですか?」と何度も聞いてしまいましたし…

 

新藤さん:「先生は医者だから俺のようながんの患者をみたら治療したいんだろうが、俺の心は決まっているんだ。すまないね」だって。失礼な患者ですみません。

 

Dr都:はい…。それでも、もう一度自宅に戻られてから奥様とも話し合って、考えてみてくださいと、私も引き下がらず…

 

新藤さん:あんな人ですから、私が何を言っても聞きませんよ。一度だけ確認しましたが、首を横に振るだけでした。

 

Dr都:新藤さんには当てはまりませんが、がんを告知した後、否認→怒り→取引→抑うつ→受容という段階を経ると言われているんです。

 

新藤さん:それはどういうものですか?

 

Dr都:アメリカのキュプラー・ロスという精神科医が提唱した概念ですが、通常がん告知など悪い知らせを受けた時に、まず、①「何かの間違いだ」という否認が起きて、その後②「何で自分だけが」とか「他にも悪いことをしているやつがいるのに」など怒りの感情が起こります。そして、③「死を遅らせてほしい」や「これまで○○をしてきたので、もう少し長生きさせて欲しい」といった神や仏などとの取引の段階を経て、④「神や仏なんていない」とか「もうダメだ」といった憂うつな気分になります。しかし、それらを経て最後には⑤前向きになったり、死を受け入れたりというプロセスがあるそうです。まあ、⑤に関しては、必ずしも受容まではいかないなどいろいろな意見がありますけど。

 

新藤さん:主人はいきなり⑤だったのですかね。

 

Dr都:多少の①から④はあったかもしれませんが、見た目にはずっと受容できてた気がします。

 

新藤さん:確かにそうですね。「何で俺ががんに」なんて一言も言ってませんでした。病院に行く頃には本人も気付いていたはずですから、それまでに受容できていたのかしらね。

 

Dr都:そうかも知れませんね。全てを分かった覚悟の上で病院に来られたのでしょう。じゃなきゃ、がんの告知をした時に普通は動揺しますから。

 

新藤さん:横で聞いてた私の方が心臓が止まりそうでした。

 

Dr都:それが普通の人間です。

 

新藤さん:主人は超越してましたね。

 

Dr都:私はそれまで、同じような患者さんに対して、「抗がん剤しか方法がありません。抗がん剤は辛いけど、命が延びるためです。何もせずにそのまま死ぬのは嫌でしょう?」というような態度で診療していました。でも、延命と引き換えに患者さんにつらい治療を押し付けてることが、そうすることで医者としての使命感は得られますが、実はこれって医者のエゴなんじゃないかなって、新藤さんに気付かされました。

 

新藤さん:命を優先的に考えて全力で治療してくださる。お医者さまってそんなものじゃないですか。でも、延命よりも自分を貫くことを優先する、うちの主人のような患者もたまにいて、そんな患者の言うことを聞いてくださるお医者さまは、本当にありがたいですよ。

 

Dr都:そう言って頂けると救われます。ありがとうございます。

 

新藤さん:いえいえ。でも最期まで主人の考えを尊重してくださってありがとうございました。

 

Dr都:次の外来では私も冷静になって、やっと新藤さんの意見を尊重することができましたよ。その上で、出血やら胃の、閉塞、痛み、腹水などこれから起こりうる可能性があることを全て説明し、これらにはこう対応していくとお伝えしたところ、「先生ありがとう、大変な患者だと思うけどよろしく頼みます。」とだけおっしゃって…ずっと厳しかったお顔が、初めて緩みましたね。

 

新藤さん:自分にも他人にも厳しい人で、隙を見せないというか、普段からあまり笑わず、気難しい顔をしているんですよ。

 

Dr都:確かに、緩んだ顔を見たのはあの時だけでした。でも弱気の顔も一切しなかった…。

 

新藤さん:あの人は痛くても顔に出さないんです。まあ、あんなに大きながんが胃にあっても、私には痛そうな顔を見せなかったもんだから、病院で診断されるまで気付かなかったんですよ。もっと早く気付いてあげれば…。

 

Dr都:あれだけの胃がんなら、かなり痛いはずなんですけどね。奥様のせいではないですよ。新藤さんが強すぎたんですよ。

 

新藤さん:はい。でも、腹水がたまってきた時は少しきつそうにしていました。本人が「病院に行った方がよさそうだ」とはじめて言いましたし。

 

Dr都:CTで腹膜播種(ふくまくはしゅ)と言って、お腹の中にがんが広がっていたのが分かっていましたからね。胃がんは胃の壁を越えてお腹の中に広がりやすいんですよ。それにしても、腹水がたまるのが思ったよりも早かったですね。

 

新藤さん:でも外来ではじめ4リットルでしたっけ、抜いて頂いてかなり楽になりました。食事があまり食べられないことや、痛み止めにモルヒネを使い始めた時も弱音を吐くことはなかったのですが、腹水だけはつらかったみたいです。

 

Dr都:「入院はいよいよの時だけだ」っておっしゃっていたので、外来で腹水を抜いたり痛みのコントロールしたり、輸血したりして結構粘りましたね。だいたい1ヵ月半くらいでしたかね。

 

新藤さん:はい。さすがに体が黄色くなったし、呼吸がきつくなってきたので、先生から入院を勧められ、諦めたようです。

 

Dr都:入院中も、あまりつらそうな顔を見せなかったですし、点滴を失敗しても表情を変えず大丈夫って、あと不平不満も一切聞かなかったって、看護師が驚いていましたよ。

 

新藤さん:看護師さんから「強い人ですね」って何度か言われました。そういえば、入院する時まで、息子たちにも言わなかったんですよ。

 

Dr都:そうなんですか??入院中に息子さんたちが来られた時に病状説明をしましたが、親父がそう決めたんならと特に何も言われませんでした。

 

新藤さん:息子たちも、言っても聞かないと分かっていますから。

 

Dr都:お父さんが絶対だったんですかね。

 

新藤さん:息子たちの決めたことには一切口を出しませんでしたが、その代わり自分のことにも口出すなっていう感じでしたね。

 

Dr都:そうですか。息子さん達は最期に立ち会えませんでしたね。

 

新藤さん:仕事があるだろうから帰れって言われたそうですよ。まだ大丈夫だからって。次に週末に来る予定でしたが、間に合いませんでした。

 

Dr都:呼吸苦が出てからは早かったですね。がん性リンパ管症といって、がん細胞が肺の中のリンパ管を伝って広がる転移が見られました。

 

新藤さん:レントゲンで肺が真っ白に写っていましたね。酸素を吸うと少し楽になっていたようですよ。あとは、こうすれば呼吸が少し楽だとかいろいろと自分で工夫していました。

 

Dr都:そうだったんですね。苦しそうではあるもののあまり表情が変わらないし、酸素が効いているのか心配になりましたよ。

 

新藤さん:ホント、変な患者ですみません。

 

Dr都:でも、最後の最後まで崩れませんでしたね。どんなに強い人でも、普通は死ぬ間際になると何かしら変化があるのもなのですが…。

 

新藤さん:私にも、最期まで弱いところは見せませんでした。

 

Dr都:そうなんですね。奥様の前で言うのは失礼なのですが、最期は「死にたくない」とか「抗がん剤をしてみようかな」とか人間っぽい動揺があるのを、私は心のどこかで期待していたかもしれません。最期まであれを貫かれると、本当に人間なの?って思ってしまいます…

 

新藤さん:先生、大丈夫です。私も思っていましたから。でも、亡くなる日の朝に、「迷惑かけたな、すまない」と優しい顔てくれましたよ。

 

Dr都:そこは感謝の言葉じゃないんですね…

 

新藤さん:まあ、あの人らしいかなと。がんになってからも、一人で頑張っててあまり私に頼ろうとしなかったくらいですから。

 

Dr都:そういえば、新藤さんが亡くなる前に、新藤さんのことを本に書いていいですかって聞いたんですよ。こんな最期を迎える人なんて、たぶん最初で最後ですからって。そうしたら、「いいよ」って。

 

新藤さん:へーっ、本に?

 

Dr都:一応奥様へも確認させてください。よろしいですか?

 

新藤さん:ええ、どうぞどうぞ。主人も先生には感謝していましたし、主人のOKが出たのであれば問題ありません。

 

Dr都:ありがとうございます。いつになるかは分かりませんが、書きたいと思います。

 

新藤さん:楽しみにしていますね。

 

Dr都:はい、気長に待っていてください。

 

新藤さん:では、長い時間お引き止めしてすみませんでした。お連れ様たちがお待ちですよ。

 

Dr都:そうですね。新藤さんもご友人たちをお持たせしちゃってますもんね。お会いできてよかったです。ありがとうございました。

 

新藤さん:先生、こちらこそです。最後に先生に出会えて、主人は幸せだったと思います。ありがとうございました。